2014年10月13日

「自然」について(その2) 自然とは?

(以下は、2005年に別のブログに書いたものを加筆・修正した文章です。)

「自然」という言葉について。
 私がいつも使っている辞書によりますと、真っ先に哲学用語として、
人為によらず存在する物や現象。人やものの本質。
と、説明されています。そして数項目先に、
ひとりでにそうなるさま。
とあります。

 語の成り立ち(ずとり)からすると、また、整然・泰然・突然・判然・憤然などの単語が様子や状態を表すものである事からすると、実は後者の方が、本来の意味であるはずです。
 「その結果なら、自然だ」とか「自然と笑みがこぼれた」などと言う時の“自然”が、本来の意味で用いられる“自然”です。言い換えれば、「なるようになる。なるべくしてなる」のが自然です。そして、そのような“物”も、「自然」と呼ぶ訳です。辞書では、こちらが真っ先に出ていますが。

 いずれにせよ、人為が介入しない状態、人為が介入していないもの、これが自然です。海や山などが「自然」と言われるのは、こういったものが人為の介入なしに存在しているからです。
 ところが私達の日常においては、「自然」と言うと、主に海や山などを指していますね。いつの間にか、派生的な方が「自然」の主な意味になってしまったようです。

 そして次の事が、更に事情をヤヤコシくしています。
 防波堤がある(という事は人為が介入した)海でも、海なら自然。遊歩道がある(という事は人為が介入した)山でも、山なら自然。そう言われてしまっていて、自然という語は、かなり原義からずれて来ています。○○自然公園などという用法は、もはや比喩であるとしか言いようがありません。
 しかし、かく言う私も子供の頃に、先ず「自然とは、海や山などの事だ」と認識し、やがて、「自然という語は、二重の意味を持っているのだ」と認識するようになりました。勿論この認識も、誤りである訳ですが。
 「その1」では、この説明をしなかった為に誤解を招いたかも知れません。
(続く)

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posted by 松尾宗弘 at 20:06| 認識(論?) | 更新情報をチェックする