「自然」について(その3) 人の居場所
および
文明人(その1) 文明的ストレス
をお読みの上、本文に進んでください。
文明の主体者たる人間は、その体は、自然です。実際に私の体においても、生理現象は私の都合とは無関係に、つまり自然に起きています。
ところが文明は、実はその主体者たる人からも、自然を奪います。結界においては、すでに述べた通り、暴力は許されません。ストレス状態を解消する“自然”な手段が、許されないのです。
それはそうです。自然の驚異から身を守る為に形成した結界なのですから。暴力を許してしまえば、結界は内なる自然(人)の脅威で満ち溢れてしまい、元の木阿弥ですから。
また、ストレスの原因(ストレッサー)から逃げ出す事も許されません。このような行為は、無責任であると言われます。無責任な行為が許されないのは、これが管理・計画を狂わせるからです。文明は、管理・計画できないものを排除します。やはり、ストレスを解消する“自然”な手段が許されていないのです。
ところがストレス状態には成ります。この状態は、人体(動物)の自然です。生き(残)る為に、ストレスは必要なのです。
しかし、その解消は自然にはするな、というのが文明社会。だったら、いっそ人体という自然を壊してしまえ、と考える人が出て来てもおかしくない。そう考えた次第。つまり、そう、自殺です。
いや、これは試論ですよ。でも、こう考えてしまって、文明というものが怖くなりました。
そして同時に、ストレスを解消する手段を必ず持たないといけない事も、判ります。その手段は人それぞれでしょうが、誰しも、何かしら有効なストレス解消法を持たないと危険なようです。さもないと、本来は身を守ってくれるはずの文明社会に、身を滅ぼされてしまいかねません。直接には、自らの手で滅ぼすにしても。
いや、これは試論ですよ。しかし、皮肉に感じます。
(続く)
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